【鶴見線の旅1/7】鶴見駅の時計と本山駅跡
今日の記事について
みなさんこんにちは、イノトンです。
令和になって、最初の記事でございます。
GW末期にお伝えすることになるのですが、今回紹介することについて簡単にご紹介いたします。
今週の日曜日から、週1日の投稿になるのですが、今回7週間かけてお伝えすることになる路線がございます。
一応わたしの推し路線である、鶴見線です。205系にしては、結構な魔改造車両ですよね。
今回はそんな鶴見線をみどころ紹介することになりました。
この7週間計画を、題して
鶴見線みどころ紹介 〜鶴見線の旅〜 です。
一週目となる今日は、鶴見駅と、本山駅(旧)を紹介したいとおもいます。
JR鶴見駅の時計と背景
そもそもみなさんは鶴見駅に来たことがありますでしょうか。
関東の人なら来たことがあるかもしれないですが、そんな大きな駅でもないし、関西の人は来ることも少ないのではないでしょうか。
それもそうです。
この駅は、東海道線、湘南新宿ライン、横須賀線、京浜東北線と並行する路線があるにもかかわらず、なぜか京浜東北線しか止まらないんですね。
横浜市鶴見区は、相鉄直通とついでに横須賀線の鶴見駅停車を要求(?)しているようですが、まだ京浜東北線しか止まりません。(2019/05/05)
(京急も止まりますよ!(エア急まで))
しかしながら、そんな並行路線とは別に、1つだけ止まる路線があります。
その路線が、
鶴見線です。
こうして京浜東北線と、鶴見線が止まる鶴見駅ですが、京浜東北線ホームはホームドアが設置されていてとても近代的です。
では、鶴見線はどうなのでしょうか。
実は、鶴見線のホームは高架にあって、京浜東北線ホームよりちょっとあるいたところにあります。(西側)ですが今回は乗りません。
国道駅までの間に今はなき廃駅があり、それを見に行くためです。
かわりに入場券を使い、鶴見駅鶴見線ホームにある名物を見に行きました。
それが、これです。なぜごく普通の時計が名物なのかといいますと、この時計が、なんと60年前ほどに寄贈されて今も動いているからなんです。
この時計は、どこから寄贈されたかといいますと、戦前の韓国併合による日本による朝鮮半島植民地支配によって、朝鮮半島から日本に渡った人が非常に多かったんです。
しかし戦後、朝鮮半島への帰国事業が盛んに行われ、今も在日コリアンの方はいるものの、祖国へ帰った人も数多くいました。
この鶴見地区や川崎は日本全体で見たときすごい在日コリアンの方がいらっしゃって、この鶴見地区から帰国するときも多くの人がいたというわけです。
そして、その時日本に残したものが、この時計なんです。
この時計の下にある黒いやつには文字が刻まれていて、
日本の皆さん、お元気で
朝鮮民主主義人民共和国鶴見地区帰国者合同
と書かれています。SEIKOの時計でした。
廃駅、本山駅を見よう
その時計やその他の年季が入った古いものを見たあと、鶴見駅を出て、高架下をあるき出しました。
すると、少し歩いたところに総本山總持寺というところがありました。
曹洞宗(?)の総本山らしいですね。
近くには鶴見大学もありまして、こんなところにステハゲは住んでるんだなぁと考えながらその周辺(高架下)を歩いていきます。
すると歩道橋のようなものが見えたので登って見ると、少しだけなんかホームらしき石が残されてます!実はここ、大昔鶴見臨海鉄道という鶴見線の前身だった時代、鶴見を出た先に作られた駅だったんですね。
今は廃駅として残されていますが、その駅の痕跡が残されています。たぶんこれは駅舎跡だと思います。
駅舎の扉を閉ざしたのではないでしょうか。
この中を見てみたいです。
總持寺に行くときは見てみてはいかがでしょうか。
花月總持寺駅に変わる花月園前駅や、国道駅からも近いです。
でも、注意していただきたいのが、總持寺に1番近いのは鶴見駅です。
そこは注意していただきたいです。
また、花月園前駅とかから利用する場合、踏切を利用するとだいぶ時間をロスします。
車で来られる方の期待を裏切って申し訳ございませんが、絶対に、歩道橋をご利用ください。
(花月園前の踏切は長いと有名です)
はい、ということで今日は鶴見駅の時計と本山駅(旧)についてやっていきました。
次回(来週からは19時投稿)は、国道駅についてやっていきたいと思います。
では、また来週!
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